【特集】戦時上海・三部作/完結へ向けての助走(5)

『ヘーゼルの密書』が発売されて一ヶ月余りが経ちました。単行本の発売直後から新連載の仕事が始まったので、なんとなく慌ただしく、本が出たのが、もうずいぶん遠い過去のように感じられます。

店頭では、そろそろ、見つけにくい場所に本が移動している頃でしょうか。私はSFでデビューした作家なので、ごく普通の、SF色がまったくない歴史小説を書いても、その本は一般小説や歴史小説の棚には並ばず、SFの棚に置かれます。同じ作家の本は一ヶ所にまとめておきたい、棚から棚への移動がないほうが返品するときに便利、という書店側の配慮によるものらしいのですが、このため、私の四六判の本は、最近、店頭では少々見つけにくい状態になっています。初見で見つけられなかった場合、店内の機械で検索してみて下さい。すぐに、置かれている棚がわかります。機械を置いていない店では棚の分類もシンプルなので、見つからない場合には「売り切れた」ということです。レジで、書店員さんに注文して頂ければ入手できます。

また、本日発売の「小説宝石」(光文社から出ている小説雑誌)には、新刊本を紹介する「本が好き!」というコーナーがあり、そこに、『ヘーゼルの密書』に寄せて、著者エッセイを掲載して頂きました。1ページ分の記事です。後日ネットにも転載されるので、公開されたらTwitterの公式アカウントで告知し、この記事にもリンク先を追加します。今日はそれに関連して、こちらでも、少しエッセイの内容に言及しておきます。

それは、「成功しなかった和平交渉について調べることに何か意味はあるのか?」(成功しなかった和平工作を題材に小説を書くことに意味はあるのか?)という問いに対する答えです。「とても大きな意味がある」と回答しておきます。
歴史小説は、皆が、史実の結末を知っていることを前提に書かれる物語です。
しかも、その同じ結末に向かって、大勢の作家が個々の物語を執筆する。その中には、勝ち戦の話もあれば、負け戦の話もある。成功した人の話も、破滅した人の話もある。もし、その片方しか書いてはいけないとなったら、小説は、どれほど不自由で味気ないジャンルになり果ててしまうことか。負け戦やプロジェクトの失敗にも、驚くほど多くの示唆が含まれています。その値打ちは、勝った場合・成功した場合と、なんら変わりません。

『深紅の碑文』を執筆したとき、国境なき医師団に関する記録を調べて創作に活用したのですが、関連資料の中に、失敗事例をたくさん掲載している本がありました。これはとても参考になりました。成功例ではなく失敗事例から次の策を練るという姿勢は、常に危険と隣り合わせで、プロジェクトの失敗が患者だけでなくスタッフの死に直結するこの団体にとって、非常に重要なことなのでしょう。失敗例を分析する重要性を、ストレートに教えてもらった資料でした。

満州事変以降の日中和平工作はすべて失敗していますが、そこから見えてくる歴史的事実は、様々な深い意味を持っています。日本のエンターテインメントでは、日中和平工作の話は、私が扱った「桐工作」ではなく、「小野寺工作」がモデルになっているものが、先行作品として複数存在しています。私は「桐工作」のほうに強い興味があったので、こちらを選びました。どちらを選んでも、背景になっている歴史は重要な要素を無数に含んでいるので、もし、まだ接したことがない方がおられたら、「小野寺工作」に関する文献や、それをベースにした作品にもあたってみて下さい。ちなみに、小野寺信自身や妻の小野寺百合子は翻訳業も手がけており、百合子夫人は、日本では、トーベ・ヤンソンの『ムーミン』シリーズや、数々の児童文学の翻訳でも知られています。この方の手記に、上海自然科学研究所の科学者が交渉を手伝っていたという記録が出てきます。私はこのことを『上海自然科学研究所 科学者たちの日中戦争』(佐伯修・著/宝島社)という本で知って吃驚したのでした。

さて、5回連続で書いてきたこのコーナーも、今回でいったん終了致します。
まだまだ、本作をお読みになっておられない方が多いため、少し時間をあけたいと思います。これから新たな書評が出て、それによってまた何か動いたら、このコラムを再開するかもしれません。何も起きなければ、そのままとなります。
最近は、ベストセラーになるような本以外は、発売後一ヶ月程度では、本に対する評価がまったくわかりません。著者はなんの成果も知ることなく、黙々と、新作の執筆に情熱を傾けるだけです。
ただただ、作品が届くべきところへ届き、これを求めていた読者に喜んで頂けることを期待しています。

(※この項目、いったん終了)