月村了衛さんの『機龍警察 白骨街道』(早川書房)を読んだ

月村了衛さんの『機龍警察 白骨街道』(早川書房)を読んだ。発売されてまだ10日ぐらいなのだが最速で読んでしまった。実は、仕事が忙しくて前作『狼眼殺手』を積んだままだったので、まず、そちらから(『未亡旅団』まではリアルタイムで読了していた)読み始めたら、この『狼眼殺手』がめちゃくちゃ面白くて、シリーズ中では私はこれが一番好きだなと感じながら読み終え、続いて『白骨街道』を読み出したら、これがまた『狼眼殺手』とは違う方向性で面白かった。
 
『白骨街道』を読みながら思い出したのは、冒険小説を書いていた頃の船戸与一さんの作品群だった。
勿論、他の数々の冒険小説や映画も思い出したし、既に、何人もの読者から指摘があがっているル・カレの作風もちらっと思い出すけれど、日本人作家が、日本人登場人物の視点を用いつつ、日本人以外の視点も取り入れて、現実の海外の社会情勢と切り結びながら物語を進めていく――というスタイルには、やはり、一時期の船戸与一さんの作風を思い出さずにはいられない。

厳密にいうと、「機龍警察」のスタイルは、一時期の船戸さんの作風とは少し違う。
船戸さんの昔の作品には「物語の舞台は海外だが、日本人が主人公である」というスタイルをとっているものがある。異文化の中に日本人が自ら飛び込んでいって、そこで活躍する物語だ。ジャンルは違うが、小松左京さんの長編SFにも、似た形式を踏んだものがある。「宇宙が舞台となる国際的な環境下で、日本人が主人公である」というタイプの作品だ。一般小説とSFの違いはあるが、根っこにある発想は同じだと思う。かつての国内冒険系の小説では、よくあるスタイルだったのだろうか。

「機龍警察」は第一巻から、この点が逆だ。海外から来た異質な存在(姿、ユーリ、ライザ。姿は日本人だが、傭兵あがりなので、外の視点を持った人物だ)が、日本社会に挿入されることで、警察や政界という強固に同質化が進んだ日本の組織が、底なしに暗黒で多様な海外情勢とダイレクトに接続される――という形になっている。日本人や日本社会が、いま居る場所から動かぬまま(自らそれを意識しないままに)海外情勢に巻き込まれ、その異質な価値観に対して極めて苛烈な形で衝突することになる――という流れは、とても現代的な視点で、私はここが「機龍警察」の最もSFな部分だと感じている。小道具がSFであるのではなく、思考方法がSFなのだ。

ところで、ある年代まで、冒険小説という分野は、近代史や現代史と密接な関係性をそなえたフィクションだった。
読者は、現実の社会情勢を予備知識として念頭に置きつつ――あるいは、フィクションに書かれた内容から現実社会への興味を掻きたてられつつ、現実ではまだ決着していない出来事の未来像、あるいは不幸な結末となった事件に対して「もしかしたら有り得たかもしれない(人が、人としての矜持を守り通せば得られたかもしれない)物語」としての夢を、作品の中に見ていた。

そういった物語が日本のフィクションから激減していって、いったい何年が経つだろうか。

「機龍警察」シリーズは、一作ごとにぐんぐん成長していって、ついに、ここへ戻ってきてくれた作品群ではないのかと、私は、いま大きな期待に包まれつつ感じている。
 
第一作目の「機龍警察」が発売され、その初版(いまはない、ロボの手が描かれたカバー画の文庫本)をリアルタイムで手にとったとき、私は、シリーズがこのような展開になるとは想像もしていなかった。
初版の帯で銘打たれていた惹句は「警察ハードボイルド」だ。
主人公たちの海外でのエピソードを挿入しつつも、あくまでも、日本の警察・政界内の話になるのかなと想像していた。

私のこの印象は、二作目の『自爆条項』で完全に覆った。『自爆条項』を読み始めた瞬間、私は、あっ、これはイギリス系の冒険小説だ! 著者は海外の冒険小説をものすごく大量に読んでいる人だ! と気づき、実際そのあたりの著者インタビューで、内外問わず、冒険系・娯楽系の作品を浴びるように摂取したうえで作品を執筆してきた書き手だと知って、これは大変な方がSF界にやってきたのだな……と思ったのだった。

『白骨街道』に関して、Amazonでの紹介文に出版社が記した言葉は、

 ” 世界に先駆けてミャンマーの問題を取り上げた、ほぼ唯一のエンターテインメント作品。

である。これには、かなり驚いた。欧米でサスペンスや謀略小説を書いている現役作家は、いま、現代アジア史に対して、ほとんど興味を持っていないのだろうか? あるいは、翻訳小説の売れ行きの落ち込みで、こういった作品が、日本語に翻訳されにくくなっているのだろうか? だとしたら悲しい。もっと日本に向けて積極的に紹介されてほしい分野だ。
また、日本の冒険小説や謀略小説を書く作家にも期待したい。『白骨街道』とは違う形で、近・現代アジア史を描いた作品を私は読みたい。
(※相当ハードルの高い仕事になることは想像できますので、私は一読者として、ゆるゆると、この方面を手がけている作家さんのご活躍をお待ちしております)

『狼眼殺手』と『白骨街道』を読み終えてから、このふたつの作品について、私はずっと、いろんなことを考え続けている。読者として、そして、自分も小説を書くことを生業としている者として。
私は『狼眼殺手』以降の、「違う部署で働くプロフェッショナルたちが、利害関係で衝突しながらも事件解決に向かって並走していく」――という展開に、かなり熱狂している。そう。こういう作品を読みたかったのだ。
シリーズが始まった頃の、特捜部だけが警察内で浮いて苦労している展開は、とてもつらかった(※作品としては面白く読めて満足なのですが、登場人物たちの内面を想うと、きりきりと胃が痛くなる)
『狼眼殺手』からは新しい助けが得られ、この人たちが人間的にとても面白いので、登場すると、ほっとする。この人たちならなんとかしてくれるだろう、という期待感が湧いてくる。全員が懸命に働き続け、けれどもその結果、物語の結末がひどく苦いものにしかならなくても、他部署の人間が共に闘ってくれたという事実自体は感動的なので、読後、一抹の爽やかさすら覚える。
「早く次を……次を読ませてくれ!」という気分になる。「機龍警察」シリーズは、展開だけ見れば死屍累々の凄絶な物語なのだが、私にとっては、読んでいるとなんだか元気が出るし、読み終えると勇気をもらった気分になる。

「機龍警察」シリーズは、大量の登場人物をひとつの期間内に同時に動かすという大河小説のスタイルを、いまのところ完璧に成功させており、この形式はいずれ、「かなりボリュームのある長編の前編・後編」というスタイルを一回生じさせる――のではないか(おそらく完結編あたりで)と思われるが、中心にいる登場人物は固定しているから、スートリーの混乱は起きないだろう。
その完結は何年先になるのか。
10年先か? 15年先か?
自分はそれまで生きていられるのかなあ、ということが、冗談ではなく本気の言葉になってしまう昨今、とにかく最新作の『白骨街道』まで読めたことに感謝する次第です。

ところで私の推しは姿警部なのですが、雑誌などの情報によると、姿さんと沖津さんの過去が詳らかになるあたりでシリーズは完結するらしいので、姿さんの過去を知りたいような知りたくないような微妙な気持ちになる。それがわかると終わっちゃうのね……ちょっと寂しい。でも早く知りたい。