(31)【著者記録: 2003-2023】『華竜の宮』刊行へ向けて (8)

『華竜の宮』を刊行したあとの5年間ぐらいは、とても慌ただしかった。それまで経験がなかったことが次々と押し寄せてきた。すべてを記述すれば、この5年間の出来事だけで、エッセイ本が一冊仕上がるだろう。だから、これらの諸々に関しては、オーシャンクロニクル・シリーズが完結したときに、あらためて、すべてまとめるつもりである。今回のエッセイでは取り扱わない。
扱わないことには明確な理由がひとつある。それは、個々人のプライバシーに直結する問題が絡むからだ。実在する方々の発言のうち、ごくわずかな言葉だけならともかく、活字になっていないものまで詳細に触れる行為は自分としては控えたい。
 
ただ、これはそのうち時間が解決してくれるかもしれない。何かのきっかけで誰かが活字にすれば、そこからの引用で(そこから派生する物事として)様々に語る手段がとれるからだ。
 
大雑把にまとめると、『華竜の宮』刊行後の5年間は、いいこともあったし悪いこともあった。比率でいうと、悪いことのほうが多かった。よいことのほうが多ければ、私はいまでも「SFの仕事だけを」続けていただろう。ただ、そうはならなかったのだ。金銭的な問題や、時間配分の問題ではない。いろいろと面倒なことがあって、SF以外の仕事を確保しておかないと職業作家を続けられなくなると判断したのだ。普通の作家なら、こんな状況には愛想を尽かして、SF作品を書くこと自体をやめていただろう。実際、そうなってしまった方を何人も知っている。私が、長い休眠期間をもうけながらも、いまでもSFの執筆を続けているのは、自分が心の底からデビューしたかったSFの賞でデビューできて、SF的な思考を反映させながら作品を書くことが楽しくてたまらないから――という、ただそれだけのことである。私は、無数にあるジャンルの中で、SFだけが突出して優れている文学形式だとは思わないタイプの書き手だ。しかし、何かひとつジャンルを選べと言われれば、「ファンタジーも同格として含めてのSF」をずっと書き続けたい。自分の仕事全体の中で、それがどれぐらいの比率になるかというのは、現実的な諸々との兼ね合いになるのだが。
 
さて、ここから先は、職業作家の仕事としてもうひとつの柱となってくれた、歴史小説という分野を得た経緯について記す。2013年に『深紅の碑文』を刊行した後、上記で述べたような諸問題が個人では対処不可能になってきたので、いったん日本SF作家クラブを退会した。日本SF作家クラブだけでなく、SF関係のすべての団体や関係者と距離を置くためだった。
(10年ぐらい待っていたら一部の問題が解決されたので、2023年に再入会し、現在はまた在籍中)

2010年10月に刊行された『華竜の宮』は、日本SF大賞の候補に入る可能性がある期間(8月締め切り)を過ぎてからの刊行だったので、2011年2月の「SFが読みたい!」で順位が出たものの、世間的には、まだほとんど無名に近い作品だった。SFファンを自認する人であっても「知らない作家が書いた、知らない作品だ」と公言していたほどだ。
(前年、短編集『魚舟・獣舟』を刊行し、この作品がその年の「SFが読みたい!」で4位に入っていても、こう言われた)
 
そんなふうに作品の評価がまだ定まっていない状況下で、2011年度前半までの時点で、早くも「我が社でも作品を刊行してみませんか」と声をかけてくれた他社の編集者が複数いた。ひとりは、のちに『薫香のカナピウム』を担当することになる方、もうひとりは『破滅の王』を担当することになる方である。どちらの編集者も『華竜の宮』で初めて私を知ったのではなく、デビュー以降、声をかけるチャンスをうかがっていたという。
『薫香のカナピウム』を担当してくれた方は、SFセミナーで登壇したときに初めてお目にかかった。私はSFファンダムとはまったくつながりを持っていない(いまも無い)ので、2018年に名古屋SFシンポジウムにゲストとして呼ばれるまで、SFファンの集いで招かれたことは、SFセミナー以外ではただの一度もなかった。3回ほど出席したSF大会の企画は、企画の主催者が知り合いで、手助けを頼まれたから同席しただけである。発言もほとんどしていない。1回しか登壇していないこのSFセミナーは、いま振り返っても大変貴重な機会だったと思う。そして、のちの名古屋SFシンポジウムも。名古屋のSFファンとはこれでご縁ができて、現在に至るまで、繰り返し交流の機会を持つようになった。

いまでもたいして状況は変わらない(SFの賞からデビューしたのに、現役SF作家だとは思われない)が、当時はもっとマイナーな作家扱いだったので、SF系以外の出版社から仕事の依頼が来ることや、SF以外の作品を書いて下さいと言われることは普通にあった。特に『破滅の王』の担当編集者は、最初から私に書いてもらいたい分野をしっかりと目標に置き、「SF以外の作品として、これこれこういうものをお願いします」と具体的に依頼してきたのだった。