繁体字版『華竜の宮』と著者インタビューの話

今年(2020年)の3月末に、台湾で繁体字版『華竜の宮』が発売されました。その後、出版社である獨步文化さんの編集部が著者インタビューを行って下さいました。いま、それが二つの記事となり、ネット上で公開されています。詳しくは事務所のTwitterアカウントをご参照下さい。
https://twitter.com/OfficeTripleTwo/status/1260851968186019841

『華竜の宮』は、中華圏では、これに先行する形で、2018年9月に簡体字版でも発売されています(こちらは大陸向けの販売です) 簡体字版としては、他にも、2019年に『夢みる葦笛』が発売されており、SF専門誌「科幻世界」には「魚舟・獣舟」「くさびらの道」「小鳥の墓」「リリエンタールの末裔」が掲載されています。「小鳥の墓」は、簡体字版でも、なかなか評判がよかったようです。日本で発表したときにも、若い読者がびっくりするほど敏感に反応してくれたことを、いまでもよく覚えています。

さて、台湾の獨步文化さんによるインタビューですが、これは私が海外の出版社から受けた最も長いインタビューです。これほど長く、かつ、内容が多岐にわたるインタビューは、これまで受けたことがありません。
台湾の皆様には、深い感謝の念に堪えません。
最近は機械翻訳の性能が上っているので、それを使えば、比較的わかりやすく日本語に訳出してくれるのではないかと思います。興味のある方はご一読下さい。

最初に公開されたインタビューは、未読の読者向けの作品紹介です。作品を書いた動機や登場人物に対する言及を含み、ネタバレなしです。少し変わったところでは、音楽や美食に関する質問なども入っています。
今回こちらで言及するのは、あとから公開されたインタビューについてです。すべてを紹介するにはあまりにも長い記事なので、前々から言及しようと思っていた、日本SFとAIの話を少しだけここに記します。

インタビューの中で、私は下記のような質問を受けました。とてもうれしい質問でした。

   「性別がない」はずの人工知性体に対して、どう考えておられますか?

私は「人工知性体に性別はない」と考えている人間です。ただし、それを使う人間のほうが、勝手にAIに性別(社会的性別=ジェンダー)を与えてしまう場合は勿論あります。その付与に、大きな意味が含まれている場合もあれば、なんの意味もない場合もある――と考えます。
(※”人工知性体”というのは『華竜の宮』で使われている用語なので、話を進めていくうえで、便宜上、以下すべて “AI”という表記で統一します。この語を含む広い意味での――SFフィクション全般に共通する人工知性のイメージで話を進めます)

日本SFでは、人間とAIの関係(ヒト型をとる/とらないにかかわらず)が描かれるとき、長い間、同性同士よりも異性同士の組み合わせのほうが目立っていたように思います。「目立つ」というのは、総数の問題よりも、公の場でアピールされる機会が多いという意味でとらえて下さい。実際には、日本の男性SF作家が「人間女性と男性型AI」という組み合わせを書いている場合もあれば、日本の女性SF作家が「人間男性と女性型AI」という組み合わせを書いている場合もあり、また、どちらでもない中性型(無性型)AIと人間との関係も描かれていて、長く愛され傑作として知られているからです。つまり、作家の性別に関係なく、どのパターンも描かれています。

私は、どの組み合わせを否定する気持ちも、まったくありません。作家が、人間とAIの関係をどのように表現するかは、個々の作家がそのつど自由に選べばよいことです。自由に選べない社会のほうを私は警戒しますし、その程度のことも自由に書けない社会には、なってほしくないと考えています。

けれども、それとは別に、なぜ、日本SFでは、女性型AIのほうが目立つ状況があるのか。なぜ、日本SFでは、人間とAIの性別組み合わせが男性同士になりにくい(作品としては存在していても目立ちにくい)のか。なぜ、対等な大人同士の組み合わせになる機会が少ないのか。執筆年代(ゼロ年代)当時、私にとっては、これらはとても大きな疑問でした。
(※人間の女性と女性型AIの組み合わせは、今後、増えてくるかもしれません。西UKOさんの『となりのロボット』(初出2014)は、女性同士の組み合わせでした。好きな作品です)

私には、人間とAIがあらゆる組み合わせをとっているほうが、ごく自然に感じられるのです。AIには、必ずしも実体(ロボットような形)は必要ありませんし。ですから自分の作品では、人間とAIの組み合わせが、「同性同士」「異性同士」「人間と動物型(犬、猫)」(性別はあってもなくてもいい。例えばバニラにはない)「人間とよくわからないもの型」など、なるべく多くの型をとるようにしています。台湾からのインタビューでは、これに加えて「現実社会では、人間と非生物型との組み合わせも有り得る」と回答しています。すべての人が、生き物だけをAIのイメージ像として選択するとは限りませんので。いろんな組み合わせがあったほうが楽しくありませんか。私はそのほうが楽しいですね。

ところで、これとも関連する話かと思いますが、いまはもう2020年なのに、日本国内ではいまだに「女性はSFを読まない」とか「女性のSFファンはいない」とか「女性SF作家は珍しい存在だ」とか、そのような言説が出回ることがあるようです。実際にはそんなことはありませんので、そのような場面に出くわしたら「いますよ」とさらりと流しておいて下さい。

古くから(70年代から)少女漫画の分野も含めて、日本にSFを書く女性作家も、それを楽しむ女性も、数多く存在してきました。SFの新人賞からも女性作家はデビューしています。女性作家の作品が翻訳されて海外へ出れば、その先では、当然のように、その分野の作家として受け入れられます。
ただ、それらの流れとは別に、SFを書く女性作家のことが、日本国内では、公の場で目立ちにくい/可視化されにくいという問題はあって(これが前述の言葉の背景にあるのではないかと私は考えています)この話については、また別の機会に語りたいと思います。