【コラム】佐藤史生『ワン・ゼロ』――SF・Fantasy・漫画(2) 

(※このコラムの掲載は不定期です。原稿がまとまったときに、そのつど、アップロードします)
 
 
古い時代の漫画が次々と電子化されているおかげで、当時の作品を、気軽に再読したり、未読の方に勧められるようになった。佐藤史生(さとう・しお/*女性漫画家。少女誌で活躍)も、現在、その恩恵のもとに作品を読める作家である。2020年現在では、未電子化作品もあるので(徳永メイとの合作を収録した短編集『精霊王』や、早川書房から出ていた短編集『天界の城』など)完全に網羅されているわけではないが、長い間、古書でしか手に入らなかった状況が、復刊ドットコムでの「佐藤史生コレクション」発刊によって劇的に改善され、今日に至っている。
 
「日本でSF漫画を書く女性漫画家」というくくりで、まっさきに名が挙がるのは、萩尾望都、竹宮惠子であるが、佐藤史生は、本来ならば、このふたりと並んで名前が挙がるべき作家だ。活字SF(SF小説)とニュアンスが近い作品を描ける能力を持ち、80年代前半において、既に、コンピュータとネットワークの関係を正確に描写できた(ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』の邦訳よりも前)という意味においても、日本SF史の中では重要作家として位置づけられるべき作家である。しかし、2010年に佐藤史生が早逝したのち、一時期、紙書籍の流通が市場から消えた時期があるためか、「知る人ぞ知る巨匠」的な扱いになっている観があり、もったいないこと甚だしい。
 
佐藤史生のSF漫画『ワン・ゼロ』の連載は、1984~1986年である。日本で、ギブスンの『ニューロマンサー』が発売されたのは1986年(原著の初出は1984年) この事実は、何度でも強調されておくべきだろう。
 
「コンピュータネットワークが絡む戦争」を描いたハリウッド映画『ウォー・ゲーム』の公開が1983年(日本でも同年に公開)で、私自身はこのとき初めて、ハッカーという言葉を知った。書店のノンフィクションコーナーへ行くと、ハッカーの告白書を翻訳した書籍が山積みになっており、それまでコンピュータとネットワークに無関心だった人でも、手軽に概要を把握できる時代になっていた。日本で、大手による商用パソコン通信サービスが始まったのは80年代後半からで、佐藤史生は、まさに時代にぴったりなタイミングで(SF的視野としては、現実に先行する形で)『ワン・ゼロ』の連載を、少年誌や青年誌ではなく、パソコン雑誌でもなく、ごく普通に流通していた「少女漫画雑誌」(小学館「プチ・フラワー」)誌上で開始している。これ自体が既に驚くべきことだが、当時「プチ・フラワー」では、萩尾望都や竹宮惠子が常連作家として連載しており、本格的なSF漫画を掲載する土壌は充分にそなわっていた。ちなみに、萩尾望都の作品は、1981年から「プチ・フラワー」に、一角獣種シリーズの「4/4(カトルカース)」や「X+Y」などが掲載されており、佐藤史生の『ワン・ゼロ』と同時期に掲載されていた作品は『マージナル』である。『ワン・ゼロ』の連載第1回は、趣味人がたむろする各種のクラブ(ネット上のものではなく、リアルの場での)の場面から始まるが、このクラブの雰囲気は、当時のパソコン通信のBBS(電子掲示板)の印象そのままである。

『ワン・ゼロ』は、コンピュータとネットワークのリアルな設定に、日本SF界に大きな峰として存在する「神々との戦い」という題材をハイブリッドさせた作品だ。人類を涅槃へ導こうとする(精神的に支配しようとする)神仏たちに、大陸で彼らとの戦いに敗れた「魔」と日本の土着神が手を結び対抗する物語がその主軸だ。主人公たちは、個々の「魔」の記憶を、個人の人格とは別に備えている。人間が、神仏ではなく魔の属性を持ち、土着神と交流し、「どうしようもない業を背負った人間」の在り方を、それでも肯定していくところが大きな魅力だ。
 この戦いに利用されるのが、コンピュータとネットワークである。魔と交流できる〈マニアック〉という人工知能が登場するが、これは読者が〈ENIAC〉を知っていれば、にやりとするネーミングだろう。また、人工知能の思考の偏りを矯正する「見張り/天敵プログラム」(作中では「免疫」とも呼ばれる。現在のセキュリティソフトを連想させる描写もある)というものが登場するが、このようなネーミング・センスには、佐藤史生のSFセンスがよく現れていると思う。
 
小道具の時代性を除けば(音響カプラの上に電話の受話器が載っている絵の意味を理解できる読者は、生まれたときからスマホがあった世代にはほぼ皆無だろう)この作品は、いま読んでもほとんど違和感がない。むしろ、いま読んだほうが、著者が何をやろうとしていたのか当時よりもわかりやすい。ハイテクは、現代人にとって、ある意味、神でもあるので、神々とハイテクの融合という題材は古びないし、ギブスンが、『ニューロマンサー』の作中で、AIに神性に似たものを見出していた姿勢とも共振する。なお、士郎正宗による『攻殻機動隊』の原作漫画の初出は1989年(『ヤングマガジン海賊版』)で、単行本化が1991年なので、やはりほぼ同時代である。『攻殻機動隊』の原作も、エピソードが進むにつれて仏教や神道の世界へ寄っていくので、やはりコンピュータネットワークと神というのは、なんらかの親和性があるのだろう。
 
佐藤史生の絵柄には余分な熱がない。描線は細く、強弱があまりないので、余白の白さや、背景が全面黒ベタになったときの印象がより強い。「余分な熱がない」といっても冷ややかという意味ではない。佐藤史生の作風にはむしろ深い情緒があり、それが激情や感傷に流れず、知性とユーモアをもって描かれるのが特徴だ。そのような冷静な筆致であったからこそ、人間のエゴイズムや、迫害される側にある者の心理、集団からはみ出してしまう者の内面を微細に描くことも可能であった。この画風の白さは「無」を意味しているのではなく、日本画の背景の印象によく似た「何かを語りかけてくる充実した余白」としての白さだ。