宝樹のSF短篇集『時間の王』(早川書房)を読んだ

仕事の合間に少しずつ読んでいた、宝樹(バオシュー)のSF短篇集『時間の王』(早川書房)を読了した。
(※著者名は「バオシュー」でひとつの筆名である。間に「・」は入らない)

宝樹の短篇集が、こんなに早く日本でも読めるようになるとは思わなかった。劉慈欣(りゅう・じきん/リウ・ツーシン)の『三体』三部作が売れたおかげだ。10年前なら、企画自体が通り得なかっただろう。宝樹の作品の中には『三体X 観想之宙』という『三体』シリーズの二次創作小説がある。日本でも、まずは、このエピソードを通して宝樹の名前を知った方が多いのではないだろうか。この、『三体III 死神永生』が中国で刊行されたときの、宝樹のSF読者としてのエピソードは熱気に溢れており、ひとつの作品に熱中し、とことんまで情熱を捧げ尽くすファンの心理は、SFだけでなく、あらゆるオタクとマニアに共通する心理であり、きっと日本にも共感を覚える人が少なくないはずだ。

『三体X 観想之宙』は、著者・劉慈欣が公式に認定した二次創作小説である。ただし、そのせいで劉慈欣が『三体』シリーズの続編を書く可能性が消えたため、中国のSFファンの間では 『三体X 観想之宙』 は賛否両論なのだという。設定そのものについても賛否があるようだ。なるほど、ファンの心理としてはよく理解できる話だ。

実際、中国のSFファンが、 ネットを介して『三体X 観想之宙』 の件で日本の読者に声をかけているのを、私は直接目撃した。すごい話だ。ひとつのSF作品を通して、中国のSFファンと日本の「三体」読者がダイレクトにつながり、さまざまな意見を交わせるとは、いい時代だなあ。私が若かった頃――SFファンダムとのつながりを持たない地方のいちSFファン(周囲にファンがいないとSFファンは孤立しがち)だった私は、SFを読む喜びを共有できる相手などほとんどおらず、ただただ、孤独にSFを読み続ける以外の術を知らなかった。書店で、早川書房と東京創元社のSF棚の前へ行き、そこに並ぶ古典や新作のSFのタイトルをうっとりと眺めていた時代は、もう遙か昔のことになってしまった。

いまはネットがある。
言語の問題さえクリアできれば、世界中のSFファンとつながれるし、意見を交換し合える。
本当に幸せな時代だ。

SF短篇集『時間の王』には七編の短編が収録されている。人類史を俯瞰する壮大な作品から、三国志の改変を目論む中国史SF、なんの力もない若者が時の流れの中で翻弄されつつも懸命に幸せを求めるハートフルな話、ブラックホールの間近まで接近する人類最後の男など、設定はさまざまだが「時間SF」というくくりで統一されているのが特徴だ。

宝樹は「時間SFの名手」と呼ばれるほど、時間をテーマにした作品を多く発表している。日本に紹介されている作品群のうち、その最高傑作は、『月の光 現代中国SFアンソロジー』 (早川書房/新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) に収録されている「金色昔日」だろう。ある事情から、この短編は初出が中国ではなく、アメリカである(※こういうことは中国の作家の場合、しばしば起こり得る)
「金色昔日」を上記のアンソロジーで読んだ私は、一読、喜びのあまり飛びあがって、「この形式のSFは、これまで海外にも日本にもあって珍しい手法ではないが、それを、中国近現代史を題材にして書いたものなど初めて読んだ! こんなことが可能なのか!」と大興奮したのだった。この作品を読んで以来、これを、日本の近現代史を題材に同じようにやったらどうなるか? ということを私はずっと考えているのだけれど、たぶん、ものすごく異様な迫力を持った作品が出現するに違いない……という確信はあるが、面倒くさい作業になるのがわかっているので自分では書かない。

宝樹の作品は、それ以前に「SFマガジン」2019年8月号の中国SF特集のときに掲載された「だれもがチャールズを愛していた」や、他にも短い短編を読んでいた。そのとき、「なんて、ポップでチャーミングで、そして皮肉の利いた怜悧なSFを書く作家だろう」と、すっかり魅了されてしまい、その後は機会があるたびに、他人には「宝樹を読め」と勧めてまわり、SF出版関係者には「早く、宝樹のSF短篇集を邦訳してほしい!」と祈り続けた甲斐があったのか、ついに『時間の王』が刊行された。めでたい。

どの収録作も面白かったけれど、私がとりわけ好きなのは「三国献麺記」だ。主人公たちが、ある事情から、タイムトラベルして、曹操に未来の麺料理を食べさせるミッションを完遂する必要に迫られる――という話なのだが、テンポがよくて本当に面白い。
これを読みながら、タイトルも著者も失念してしまったが、昔「SFマガジン」に掲載された海外の短編SFで、ロバート・A・ハインラインがSF作家になるのを阻止するために、タイムトラベルして、海軍時代のハインラインにストレプトマイシンを打ちにゆく(病気が治ればハインラインは海軍に留まってSF作家にならなかったであろう、という推察から)――あの作品を思い出した。細部を忘れてしまったので、この説明で合っているのかどうかも定かではないが(もし、たくさん勘違いしていたら、ごめんなさい)
(※この件について、翻訳家の山岸真さんから情報提供がありました。これは、ニーヴンの「ウィリアム・プロクスマイアの帰還」(「SFマガジン」1991年1月号掲載)という作品だそうで、ヒューゴー賞は受賞していませんが、ヒューゴー/ネビュラ賞特集号のときに掲載。ハインラインのSFがなければ宇宙開発が盛りあがらずその分予算が削れるという話……とのことです。修正前の書き込みは、かなり間違いがありました。申し訳ありません)

あの短編と似た面白さを「三国献麺記」を読みながらずっと感じていた。

三国志は日本人も大好きな題材だし、「三国献麺記」は、日本人が初めて宝樹を読むときに、とても取っつきがいい作品だと思う。そして、他の作品もどんどん楽しみつつ、「時間の王」に胸をつかれて美しいラストシーンに涙をこぼし、「暗黒へ」で宇宙SFの醍醐味を味わいつつ、満たされた想いを抱きながら本を閉じるとよいのだ。

『月の光 現代中国SFアンソロジー』収録の「金色昔日」、そして、この『時間の王』と、連続して宝樹の短編SFを楽しませてもらって、次には『三体X 観想之宙』の邦訳刊行がひかえている宝樹だけれど、私はもうひとつ新しいものを期待している。

それは、宝樹のオリジナル長編SFだ。宝樹は武侠小説の書き手でもあって、そのような作品を書ける作家は長編SFでも実に魅力的な作品を書くに違いなく、いつか日本でも読める日が来ることが、いまから楽しみで仕方がない。