『サタデー・フィクション』を試写で観た

映画公式に寄せたコメントでは書ききれなかった事柄。映画のベースになった小説を書いた虹影(ホン・イン)に関して、少しだけ。

試写で、ロウ・イエ(婁燁)監督の新作『サタデー・フィクション』を観た。とてもよかった。本作は2019年の作品だが、中国本土では公開の許可が降りず、台湾では公開された。台湾版のDVDは既に出ている。日本では11月3日から劇場公開。

主演のコン・リーは、年齢を重ねてもモノクロで撮られても、相変わらず美しい。オダギリジョーは、過剰な表現を排した、端正で人間味のある日本人将校を演じた。オダジョーの護衛役・中島歩の、異様な雰囲気を漂わせる迫力もいい。

たとえば、ル・カレのスパイ小説を映画化すると、もっと冷たくて非情な感じに仕上がり、それはそれで非常に味わい深くて、あまりにも非情なので逆にしみじみとした感傷漂う映画になったりするのだが、『サタデー・フィクション』の底には日本人にも馴染み深い叙情性があり、しかし、表現としては感傷に流れたりしないので、かえって心を揺さぶられる。ラストシーンのなんと美しいことか。あれは、主人公が真の意味で精神の自由を獲得したのだと解釈した。

映画のベースになったホン・イン(虹影/女性作家である)の小説『上海之死』が欲しかったのだが、残念ながら邦訳がない。虹影の作品は、日本では『飢餓の娘』が翻訳されたきりで(この作家の作品は、多数の他言語で翻訳されている) 仕方がないので、英語版があるなら電子書籍で買うか……と思ったら、残念ながら電子化された作品もなかった。悲しい。

同著者の『上海王』は、1920年代の上海の幇の内部を描いた作品で、中国国内ではテレビドラマにもなっているが、これも日本語には翻訳されていない。な・ぜ・だっ。これは日本でも売れると思うけどなあ。

ちなみに、もうひとつのベースとなった小説、横光利一の『上海』は、映画内での劇中劇に反映されている。この劇中劇が、現実の物語と交錯していく後半(劇中の台詞や展開が、現実そのものと二重になり、意味が重なっていく)は、ある種、幻想的とも呼べる効果を出しており、非常に印象的。40年代だけでなく、20年代の上海租界の社会背景を知っていると、より楽しめる。

●映画『サタデー・フィクション』公式
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